某所コピペ

明日はスペシャル版です。

同じ職場の彼と2年以上付き合ってた。
彼の仕事ぶりは見ていて頼もしく、2人きりになると凄く優しくなった。
幸せなバカップルでいたし、私は先のこととは言っても結婚を少し意識していた。
 
私が研修所へ2日間出張して戻ってくると、彼は退職して実家のある田舎に帰ってしまっていた。
突然のことで何がどうなっているのか信じられなかった。心臓が苦しかった。
彼の部署にいた人から、家庭の事情だと聞いた。
彼は両親ともに身体の具合が悪く、しばしば帰省するようになっていた。
長男だからいつか実家に帰るとも聞いていた。でも、こんな急な話だとは思わなかった。
 
動揺が収まると、怒りと悲しみがこみ上げてきた。
どうして私に相談も報告もせずにいきなり退職してしまうのか。常識はあるのか?
事情があるのならそれを話して欲しかった。私は彼の何だったのか?彼がすごく憎らしくなった。
携帯をかけた。彼が出た。「どういうこと?」「ごめん」
彼の声を聞いたとたんにまた怒りと涙が抑えられなくなった。私は泣きながら大声で文句を言った。
「大嫌い」「裏切り者」と感情にまかせて罵りつつけた。
彼が何を言ったのか覚えていない。私は聞く耳をもたなかった。彼に恨みの言葉をぶつけつづけて電話を切った。
 
彼は何も言わずに消えたのではなかった。彼も落ち着いていられる状況ではなかった。
研修中の私に動揺した長電話も出来ず、私のPCに事情を説明した長文のメールを送ってくれていた。
馬鹿な私はメールに気づくのが随分と遅かったし、もう手遅れだった。
ご両親が2人とも急いで入院の必要があり、おそらく退院は出来ない。残った時間もあまりない。
前からご両親の看病を休職や特別休暇で対応できないか、会社と交渉して結局うまくいかなかったことも。
私はようやく事情がのみこめた。本当に急な話だったのだ。
でも結局は「さよなら」と「こんなことになってごめん」で終わっていた。別れ話に変わりはなかった。
言い過ぎたことを後悔したけれど、悲しくて冷静にはなれなかった。怒りも消えなかった。
どこにぶつければいいのかわからなかった。
彼からは何日かして「時間がとれたら会ってあやまりたい」というメールが来た。
どう返信していいのかためらっているうちに結局返事は出さないままで、私たちは別れた。
 
別れて4ヶ月たった。私はまだ優しかった彼のことを思い出して泣いていた。
彼が帰ってきて「解決したからまた付き合おう」といってくれる妄想を何回も何回もした。
彼を罵倒したまま終わったことも気になっていた。別れるのならせめて最後に謝って楽しかった時間のお礼も言いたかった。
GWに有休をくっつけて、彼の実家を訪ねていった。拒絶されるのが怖くてアポはとらなかった。
 
私が訪ねて来たのを彼はすごく驚いていた。
それから笑顔で「来てくれて嬉しい。上がってくれ」と言ったけど、慇懃でよそよそしくて嫌だった。
来ない方がよかったかなと思いながら「しばらく泊めてくれる?」と頼んだ。断られたら帰るつもりだった。
彼はニヤリと笑って「田舎でそんなことしたら近所中の評判になる」と言った。
付き合っていた時の口調だった。来てよかったと思った。電話での私の罵詈雑言を責めなかった。
 
彼は驚いたことに就職も求職活動もしていなかった。自分の貯金とご両親の貯金を崩していた。
「24時間介護してるわけじゃないのに」と私は思った。
でも一緒にご両親の入院病棟へ通うようになって理由が分った。
ご両親を気遣えば気遣うほど大変だったのだ。主治医との定期的な対話からご両親が好きそうな食べ物を探し回ったりマッサージしたり汚れ物の洗濯をしたり。
帰ってきたとたんに容態の変化でまた呼び出されることもあった。
「せめて1人ならね」。実のご両親といっても彼も疲れていた。求職どころではなかった。
彼はストレスで円形脱毛症になり、長髪にしてそれを隠していた。タバコが増え、食事が不規則になっていた。
私は正直に言って、ご両親より彼の身体が心配だった。時々、親戚の方が手伝いに来てくれていたけど彼がゆっくり休めるわけではなかった。私も結局は役立たずだった。
 
休日明け、私は会社に退職願を出した。1週間で引継ぎと引越しの荷造りをして、私の実家に事情を説明した。
「結納もしてないのに他人様の事情にでしゃばるのはよくない」と言われたが、何とか説得した。
彼と別れたことは教えていなかった。
今度は大荷物を持って彼の実家を再び尋ねた。
「馬鹿かお前は」「無茶苦茶するなよ」いろいろ言われた。私が退職したのを本気で怒っていた。
「私が好きでやることだから」と押し切ってしまった。私は自分に酔っていた。でも真剣だった。
最後に彼が「すまない、助かる」と頭を下げた。涙ぐんでいた。思わず抱きしめてしまった。
彼にとってはそれどころではなかったけど、私は彼が彼氏だった頃を思い出して少し幸せだった。
それから2ヶ月くらいで何もかもが終わった。ご両親はほとんど同じ時期に亡くなり、お通夜は別々だったけどお葬式は一緒に出した。やることが多いのに私は要領が分らず、彼が1人で頑張った。
弔問のお客さんに私のことを何と紹介するか、私も彼も困っていたが勝手に誤解されたようだった。
 
お葬式が終わり、事後処理が終わっても私はまだ彼の家で暮らしていた。
49日が終わらないうちから遊びにも行けず、2人で家に閉じこもってごろごろしていた。
彼は私に感謝の言葉をいい続け、ようやく抱きしめてくれた。私は報われた。
彼だけでなく私にまで仕事の紹介があったが、私は先行き不透明で返事を保留にしたままだった。
「ここに置いて欲しい」といいたかったけど、恩を売っているようで嫌だった。
何ヶ月も2人で一緒に暮らしたけど、会社にいた時の彼とは違っていた。
彼氏だったときの彼ではなかった。でも好きだった。
2人で談笑する余裕がやっと出来たのにまた別れるのは絶対に嫌だった。
 
「近所じゃお前のことを奥さんと呼んでる」「それでいいことにしてよ」
ほんの冗談みたいな会話だったけど「じゃお前のご両親に挨拶するよ。葬式の時は話せなかったから」
といってくれた。
「また一緒に遊ぼうね」というと「共稼ぎでないと食えない」と返して来た。
でも7ヶ月ぶりくらいにキスをしてくれた。
 
それからまた少し時間がたった。来年、喪が明けたら結婚します。

いつもと趣向が違うし長文だけど、載せる。