サッカーに限らず。

で、ここからはちょっとまたずれた話。
何か批判するならじゃあそれを改善するために貴方は何かしたのか?という話は耳が痛い。「批判するのは簡単」だけれども、ではどうして欲しいのか、批判を反転させるためにはどうしたらいいのか、そのために何をするのか、ということは抜け落ちがち。いちいちそんなこと考えてると窮屈で仕方なく何も言えなくなっちゃうので、「別に抜け落ちたっていいじゃーん」とも思うのだが頭の片隅にはおいておきたい。
そしてこの「批判への対価」は、より影響力の強い人(またはサイト)に、より求められるんだと思った。これは、声のでかい人や、大勢の人が見てるところほど、例えば安易な間違い*1に対するプレッシャーが強まるというのと同じ。アクセスに対する一つの背負うべき(?)責任*2。例えば同じ批判をした際でも、小規模な場所でならば笑って突っ込みが入る程度でも、大規模なところで同じ発言をしたらスタンディングオベーションが来るかもしれないし大ブーイングが起こるかもしれないよってこと。あ、今mixiが盛況な意味が分かった気がする!!(えー、この話そっちに流れるんだー)
つまり、何か批判する時は、自分の影響力を考えて、覚悟して批判しないといけないという自戒。
ごめん、自戒するほどの影響力なんてない(オチ)。

*1:誤字脱字から情報や人名の間違い、思想の批判まで

*2:これができない所は信者だらけとか、ヲチの候補になっちゃう